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【24時間テレビ】マラソンで放送内に間に合わなかった人!歴代ランナーの一覧も!

24時間テレビ

24時間テレビのチャリティーマラソンは、多くの感動とドラマを生み出してきましたが、放送内にゴールできなかったランナーも存在します。

なぜ、放送時間内に間に合わなかったのでしょうか?

その背景には、予期せぬトラブルや過酷な条件が隠されています。

・【24時間テレビ】放送内に間に合わなかった人!
・【24時間テレビ】マラソンの歴代ランナー一覧!

など、気になりますね♪

この記事を読み進めることで、放送内に間に合わなかったランナーたちのエピソードや秘話を振り返り、その理由が明らかになりますよ!

また、歴代ランナーの一覧も紹介しますので、ランナーたちの挑戦と努力を改めて感じることでしょう~^^

この記事で分かること!

・【24時間テレビ】放送内に間に合わなかった人!
・【24時間テレビ】マラソンの歴代ランナー一覧!

【24時間テレビ】放送内に間に合わなかった人!

24時間テレビのマラソンでは、過去に放送時間内にゴールできなかったランナーがいました。

そのゴールできなかったランナーについてお伝えします!

【24時間テレビ】マラソンの起源と挑戦者たち!

24時間テレビは、1978年に第1回がスタートし、日本テレビが毎年、夏に放送するチャリティー番組で、「愛は地球を救う」のテーマとして始まりました。

今年の2024年で46年目を迎え、毎年、感動的な企画が放送されてきました。

中でも1992年第15回から、チャリティーマラソンが始まり、多くの有名人が参加しました。

間寛平さんや萩本欽一さん、イモトアヤコさんなど、数多くのランナーが、それぞれ感動的なストーリーを生み出しました。

しかしながら、すべてのランナーが、順調にゴールできたわけではありません!

過去には、放送時間内にゴールできなかったランナーや途中で余儀なくリタイアしたランナーもいました。

そこで、放送時間内にゴールできなかったランナーたちのエピソードや秘話、唯一リタイアしたランナーについてのお話をします。

【24時間テレビ】放送時間内にゴールできなかったランナーたち!

24時間テレビのチャリティーマラソンでは、24時間以内にゴールを目指して走りますが、どうしても放送時間内にゴールできなかったランナーがいます。

そのランナーたちのエピソードや秘話についてお話します。

赤井英和(1996年)

赤井英和さんは、3600kmのタスキリレーの最終ランナーを務めました。

このマラソンでは、一般人のランナーも交じって、南北2ルートでタスキを運ぶことになっていました。

ところが、途中に大幅な遅れが出てしまったため、最終ランナーである赤井英和さんのスタートも、かなり遅れてしまいました。

その結果、放送時間内でのゴールに間に合いませんでした。

この年は、24時間テレビの放送時間を急遽、延長することで、ゴールシーンを観ることができました。

ゴールシーンは放送されたものの、赤井英和さんにとっては、予定通りにゴールできなかったことが、苦い思い出となっていることでしょう。

山田花子(2003年)

コメディアンである山田花子さんが、2003年にマラソンランナーとして走りました。

山田花子さんは、110kmという過酷な距離を走り続けましたが、結果的に放送時間内に間に合いませんでした。

ゴール直前4km地点まで到達し、もう少しでゴールだったのですが、とても惜しかったですね!

この年は、特別番組内で枠を設け、山田花子さんのゴールシーンを放送しました。

しかしながら、武道館の使用時間を過ぎていたので、ゴール地点は武道館内ではなく、武道館の玄関前でゴールしました。

もう少し、武道館の使用時間を長く取っておくなど、配慮すべきではないかと感じましたね!

萩本欽一(2007年)

萩本欽一さんは、2007年66歳という年齢でマラソンに臨み、当時としては最高齢でのランナーでした。

萩本欽一さんは、70kmを走り抜きましたが、ゴール直前700mで放送時間が終了しました。

とても悔しかったことでしょうね!

しかし、翌日にバラエティ番組「行列のできる法律相談所」で特別枠が設けられ、萩本欽一さんのゴールシーンが放送されました。

この番組の視聴率が、驚異的な数値を記録したと当時、盛り上がっていましたね!

萩本欽一さんの挑戦は、多くの人々に感動を与えていましたよ。

【24時間テレビ】唯一のリタイアしたランナー!

放送時間内にゴールできなかったとはいえ、全てのランナーが最終的にはゴールに到達しています。

しかし、唯一、ゴールできなかったランナーがいました。

間寛平(1992年)

1992年の24時間テレビ第15回から始まったマラソン企画は、チャリティーマラソンとして多くの人々に親しまれています。

この企画の初代ランナーを務めたのは、マラソンが得意な芸能人として知られる狭間寛平さんです。

視聴者からの熱烈な応援が元で、間寛平さんは、200kmを目標に挑戦しましたが、予期せぬトラブルに見舞われました。

当時は、出発地やゴール地点となる武道館のルートは、事前に公開されていました。

そのことを知った視聴者の方々が、間寛平さんの傍に殺到したり、車や自転車で追いかける行為をしたため、沿道には混乱が生じました。

この状況が危険視され、近隣住民や交通に支障をきたすと判断されました。

したがって、間寛平さんは、残念ながら153km地点リタイアすることになりました。

この予期せぬトラブルは、間寛平さんにとって、嬉しいやら、悔しいやらで、複雑な想いであったと推測されます!

それ以降のチャリティーマラソンでは、ランナーの安全を第一に考慮し、事前にルートを公表しない対策が取られました。

間寛平さんのリタイアは、その後の24時間テレビのマラソン企画に大きな影響を与えました。

この出来事は、24時間テレビの歴史において重要な転機となり、以降のマラソン企画では、安全対策が強化されました。

視聴者の応援が、ランナーにとって大きな励みとなる一方で、安全面への配慮が欠かせないことが改めて認識されましたね!

間寛平さんの挑戦とその結果は、チャリティーマラソンの意義とともに、多くの人々の記憶に残る出来事となっています。

【24時間テレビ】マラソンの歴代ランナー一覧!

24時間テレビのマラソンにおいて、歴代のランナーについて一覧でまとめました。

放送年 放送回数 氏名 走行距離 記事
1992年 第15回 間寛平 153Km 200Kmリタイア
1993年 第16回 間寛平 200Km
1994年 第17回 ダチョウ倶楽部(肥後克広、寺門ジモン、上島竜兵) 100Km リレー形式
1995年 第18回 間寛平 600Km(7日間)
1996年 第19回 赤井英和 100Km
1997年 第20回 山口達也(TOKIO) 100Km
1998年 第21回 森田剛 100Km
1999年 第22回 にしきのあきら 110Km
2000年 第23回 トミーズ雅 150Km
2001年 第24回 研ナオコ 85Km
2002年 第25回 西村知美 100Km
2003年 第26回 山田花子 110Km
2004年 第27回 杉田かおる 100Km
2005年 第28回 丸山和也 100Km
2006年 第29回 アンガールズ(田中卓志、山根良顕) 100Km 各人
2007年 第30回 萩本欽一 70Km
2008年 第31回 エド・はるみ 113Km
2009年 第32回 イモトアヤコ 126.585Km
2010年 第33回 はるな愛 85Km
2011年 第34回 徳光和夫 63.2Km
2012年 第35回 佐々木健介・北斗晶ファミリー 120Km リレー形式
2013年 第36回 大島美幸(森三中) 88Km
2014年 第37回 城島茂(TOKIO) 101Km
2015年 第38回 DAIGO 100Km
2016年 第39回 林家たい平 100.5Km
2017年 第40回 ブルゾンちえみ 90Km
2018年 第41回 みやぞん 161.95km トライアスロン形式
2019年 第42回 水卜麻美、いとうあさこ、近藤春菜、よしこ 148.78Km リレー形式
2020年 第43回 高橋尚子、野口みずき、土屋太鳳、吉田沙保里、松本薫、陣内貴美子 236Km リレー形式
2021年 第44回 岸優太、水谷隼、荒川静香、川井梨紗子、川井友香子、五郎丸歩、田中理恵、長谷川穂積、丸山桂里奈、林咲希、城島茂 100Km リレー形式
2022年 第45回 兼近大樹(EXIT) 100Km
2023年 第46回 ヒロミ 102.3Km

24時間テレビのマラソンって、歴史を感じるね^^

まとめ

・【24時間テレビ】放送時間内に間に合わなかった人は?
 →マラソンで放送時間に間に合わなかった人は、赤井英和さん(1996年)、山田花子さん(2003年)、萩本欽一さん(2007年)でした。

・【24時間テレビ】マラソンの歴代ランナー一覧!
 →マラソンの歴代ランナーについて、間寛平さん(1992年)からヒロミさん(2023年)までの32年間を一覧にまとめました。

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